志友会メンバー三者対談 Vol.2 KOKORO ONE 〜被災地支援を語る〜

志友会で被災地支援を始めたきっかけとは?
「KOKORO ONE PROJECT」誕生秘話と
その活動内容を語る。

志友会の結成から
5ヶ月後に起きた東日本大震災。
被災地支援を決めたのは
震災発生後すぐのことだった。

中 村

僕が志友会に入ったのは、まだ皆で「これから何をやるか」って考えてたときでした。

白 浜

志友会が結成されたのは2010年の10月だから、東日本大震災が発生するまでほぼ半年くらいあるんだよね。

鈴 見

その半年間位は、シンちゃん(中島)が前回の対談で話をしていた、志友会の高尚な理念とアクションプランを紐付けるのにすごく苦労してたんだよね。皆で集まる度に「理念に基づいて何をするか」って議論をしてた。

白 浜

定例会で「社会貢献活動をやろう」ってずっとシンちゃん(中島)が言っていたのは覚えてる。

中 村

でも社会貢献活動として具体的に何をするかっていうのは全く何も決まってなかったですね。

鈴 見

そんなときに震災が発生した。

白 浜

震災発生の2日後に、お互い連絡を取り合って「何か集まって、力になれることは無いのか?」って、その当時の10数人の志友会メンバーに、急遽集まって話し合いをはじめたのが、被災地支援プロジェクトの始まりだよね。

鈴 見

Civic Forceっていう災害支援プラットフォームがあって、大きな災害が起きたときにいち早く現場に入って他のNPOやNGO、行政、企業が連携をとって効果的な支援を行えるようにする団体なんだけど、その団体から現地の状況を教えてもらったね。
大吾 (当時のメンバー : 佐藤大吾) がCivic Forceに繋がりがあったんだよね。

白 浜

そう、震災が起こった次の日にはヘリコプターで飛んで現地の様子を見に行ってる。Civic Forceは日本中の大型商業施設の駐車場にヘリコプターを緊急着陸する権利を持ってて、そのCivic Forceのヘリコプターに乗せてもらってね。

被災地から戻ってきた志友会メンバーから「想像以上に大変なことになってる」って報告を受けて、とにかく救援物資が必要だってことを聞いた。そのときに見せてもらった被災地の映像は結構衝撃的だったよね。まだ火災が収まってなかった。

鈴 見

Civic Forceから色々と情報を聞いて、じゃあ被災地でどんな物資が必要なのか、自分達に何ができるかっていうのを自分たちの目で見ようよってことになって、発災から2週間後の3月25日に改めて現地視察に行ったんだよね。交通インフラと救援物資の物流経路の確認も兼ねて。

中 村

往復のガソリンを一斗缶に入れて車に積んでね。現地に行ったらガソリンスタンドの前にずーっと車が並んでて・・・。

鈴 見

雪が降ってたよね。高速のサービスエリアもガソリン待ちの人達が列を作ってた。100台以上並んでるガソリンスタンドもあった。最初に気仙沼の商店街に行って、気仙沼中学校と小学校に行ったんですよ。あと陸前高田と大船渡も。

白 浜

建物に船がドサーって刺さってたのは強烈だったよね。大船渡は全部流されちゃってたから街の区画もわかんないようなまっさらな状態だったんだけど、気仙沼はひどかった。火災の跡が残ってて・・・。

中 村

とにかく物資が足りてなかったんだけど、あのときは個人からの救援物資は受け取らないって状況だった。足りないのに受け取らないっておかしい。で、Civic Force経由で個人からの物資も渡せるようにしてもらって。

鈴 見

個人からの救援物資がバラバラに送られてきても、その物資の仕分け作業をする時間と人手も足りてないからNGだったんだよね。でもその当時は一般の個人の人達も皆が皆寄付したいと思ってた。その人達の想いを俺達が受け取って、寄付してもらった物資を俺達が仕分けして、それから被災地へ持って行くっていう流れにしたんだよね。それがKOKORO ONE PROJECT。

白 浜

KOKORO ONE PROJECTの名前は、イベント名を決めなきゃいけないねってときに、たまたま鈴見さんの事務所に来てた広告代理店に勤めている友人がアイデアを出してくれたんだよ。

鈴 見

「アメリカの海兵隊の人達が展開してくれている“トモダチ作戦”みたいな名前にしたいね」って話をその友人が言い出して。ちょうどFacebookが日本で浸透し始めた頃だったんだけど、そのFacebookの親指を立てている『いいね』のイメージを、人差し指を立てて『心をひとつに』ってしているのはどうかなって。そこからKOKORO ONE PROJECTの名前が生まれたんだよね。

集まった救援物資は4tトラック3台分ー
一般物資受付イベント
「KOKORO ONE PROJECT」の開催

KOKORO ONE PROJECT
みんなで力を合わせて、東日本大震災の被災地へ救援物資を届けたい。家や会社にあるものなど…みんなで救援物資を持ち寄り、一刻も早くその到着を待ち望んでいる被災地の方々へ届ける活動。4月2日に青山国連大学前ファーマーズマーケット内にて実施。約600名の皆様により、4tトラック3台分にものぼる物資をご提供いただくと同時に「KOKORO ONE Flag」へたくさんの応援メッセージもいただきました。

中 村

4月2日に1日だけの物資受付イベントを青山の国連大学前でやることに決めて、それからTwitterだけで情報を告知したんだよね。イベント決定から開催まで時間もなかったし。

白 浜

Twitterはあのときパワーあったね。震災当日は電話が繋がらないからTwitterで連絡を取り合ってた。

鈴 見

その告知ツイートをたくさんの人がリツイートしてくれたんだよね。びっくりするくらいどんどん増えていって。最後はすごいリツイート数になってた。

白 浜

当時の志友会メンバーの繋がりで、フォロワーが何万人もいるタレントさんやモデルさんたちも拡散してくれて。おかげでイベント当日はたくさんの支援者の方々が物資を持って来てくれた。 被災地に視察へ行ったときに調べた、現地で特に足りてない物資を「救援物資として持って来てほしいリスト」としてあわせて告知したんだよね。紙おむつとかね。

鈴 見

意外に新聞紙とか、

中 村

電池とかサランラップとかそういうの。

白 浜

あと本! 小説とか漫画とかの娯楽品。

鈴 見

皆がイベント当日に汗だくになってダンボールに仕分けしてる姿、僕忘れられないんですよね。

中 村

志友会メンバーとその奥さんや子供たちも集まって皆で仕分けしたね。

すぐに被災地へ救援物資を届けられるよう、
イベント当日夜に東京を出発

鈴 見

イベント当日の夜には東京を出て、車中泊して、翌日の4月3日の朝には現地に入ったよね。南三陸町の避難所になってたベイサイドアリーナに救援物資を持って行った。

白 浜

東北道が復旧して、やっと一般開放されたすぐ後だった。あのベイサイドアリーナにトラックとバスを横付けして、現地の人達の手は借りたけど、できるだけ迷惑をかけないように自分達で荷卸し作業をして物資を配った。

中 村

物資受付のイベントをやったときに支援者の皆さんに垂れ幕に応援メッセージを書いてもらって、その垂れ幕をベイサイドアリーナの壁にかけさせてもらったね。

鈴 見

南三陸町では保育所で風呂場を作る手伝いもさせてもらった。

中 村

散乱してる瓦礫を片付けて地面に穴を掘って、そこにブルーシートを敷いて作るやつ。

鈴 見

南三陸町では一泊しかしなかったから、お風呂の完成までは見届けられなかったけどね。地ならしくらいかな、手伝えたのは。でも後日「ちゃんとお風呂ができたよ」って連絡をもらったのは覚えてる。

中 村

あのときは救援物資を持って行ったのに、焼きそばとかもらいましたよね。

白 浜

そうそう。支援しに行ったのに、おにぎりと焼きそばをもらった。 それが申し訳なくて…。

物資支援から経済復興支援へ
カタチを変えて動き続ける
「KOKORO ONE PROJECT」

福島起業塾
福島の復興活動の中で生まれた福島大学とのコラボレーション企画。 「福島を起点にした元気のある起業家を育てたい!」を合言葉に、福島大学の公開講座として福島市へ志友会のメンバーが赴き、福島の未来、そして日本の未来を担う起業家を育成する塾を開催。

鈴 見

Civic Forceの関係で福島にも視察に行ったんだよね。

中 村

震災から半年後位に除染活動を見に行ったね。

鈴 見

そのときはもう物資支援っていうフェーズじゃないから、何か新しいことをやらないといけないなって考えてた時期だった。

白 浜

そこで福島大学で経営学を教えている奥本英樹准教授を紹介してもらったんだよね。面白い人がいるから、会ってみて欲しいって。

鈴 見

福島で皆でお酒を飲みながら話をしているときに、そのおっくん(奥本)に「志友会として今僕達ができる支援活動は何か」って聞いたのね。そしたらおっくんに「放射能の影響で福島に住んでいる人達は他県へ出て行ってしまう一方だ。福島には経済復興が必要だけど、それには彼らに地元に残って復興の担い手になってもらわないといけない。その支援はできないか?」って言われて。

それで福島大学でカリキュラムを組んでもらって、起業したい若者たちを支援する講義をすることになった。その福島大学とコラボして一緒にやってみようかってやり始めたボランティア活動が『福島起業塾』。

中 村

福島から経営者を出そうっていう塾ね。

鈴 見

もう塾生の何人かは起業してるんだよね。

志友会の復興支援活動は
「KOKORO ONE PROJECT」という
物資支援からスタートし、
その活動は「福島起業塾」という
経済復興支援に形を変えて発展することにー